人気漫画『鬼滅の刃』では鬼殺隊に「柱」という最強の隊士たちがいます。柱はそれぞれ呼吸の呼び名が付けられていますが、炎柱(えんばしら)だけ音読みで訓読みの「ほのおばしら」と言う言い方をしません。また火が使われている呼吸でありながら火の呼吸・火柱という名前ではなく、わざわざ炎という漢字・文字を使っています。
なぜ炎柱だけ音読みなのか、理由や原因をまとめました。
鬼滅の刃|なぜ炎柱(えんばしら)だけ音読み?
炎柱以外の読み方は全て訓読み
煉獄杏寿郎が極めた炎の呼吸は「ほのお」なので柱としての名前も炎柱と書いて「ほのおばしら」でも良かったのでは?と思われるのですが、なぜか「えんばしら」と音読みになっています。
ほかの柱の言い方は次の通りです。
- 岩柱(いわばしら)
- 風柱(かぜばしら)
- 水柱(みずばしら)
- 霞柱(かすみばしら)
- 蛇柱(へびばしら)
- 音柱(おとばしら)
- 恋柱(こいばしら)
- 蟲柱(むしばしら)
他の柱の読み方は全てが訓読みとなっていました。
「水の呼吸・壱の型」…というように技の名前があるため、柱の言い方も訓読みなのは納得できますが。
それにしても炎だけが「ほのおの呼吸」「えん柱」と音読み・訓読みと別々です。
一応、他の柱を音読みにしてみた場合ですが
- 岩柱(がんばしら)
- 風柱(ふうばしら)
- 水柱(すいばしら)
- 霞柱(かばしら)
- 蛇柱(じゃばしら)
- 音柱(おんばしら)
- 恋柱(れんばしら)
- 蟲柱(ちゅうばしら)
となります。
呼吸の読み方は2文字の共通点?
口に出した時の音、韻の問題かな?(2文字で統一させる等)も踏まえて考えてみたところ、霞柱(かすみばしら)は呼吸の言い方も柱としての言い方も3文字のため、炎の呼吸だけが別扱いであることがより浮き彫りになります。
後に炭治郎が復活・再現させることができた「日の呼吸」は1文字であること、さらに煉獄家および煉獄家に伝わる記録書によると『炎の呼吸』を『火の呼吸』と言ってはならないというものがあることを踏まえたとしても、わざわざ音読み・訓読みに分ける必要性がないのですが…
日の呼吸・日柱(訓読み、訓読みと推測)
炎の呼吸・炎柱(訓読み、音読み)=火の呼吸(ひ)と言ってはならない
他の呼吸・他の柱(訓読み、訓読み)
と並べてみると、炎だけは実は「特別」でした。煉獄さんの父は「まがいもの」と落胆していた炎の呼吸ですが重要な意味を位置づけの呼吸と個人的には考察しました。
炎柱(えんばしら)は大きな伏線だった
『鬼滅の刃』は全23巻で完結しています。
全体の話の流れから見えてくるのは、炎柱をわざわざ「えんばしら」と呼ばせていたのは大きな伏線を張っていたためでした。
後に炭治郎の祖先および父親が神楽によって鬼舞辻無惨を倒すために編み出された日の呼吸の技(型)とその方法を代々受け継いできたことが判明します。
炭治郎の先祖たちが代々受け継いできた神楽の真相は
神楽の踊りの型は日の呼吸による型(攻撃)を表しており、円(えん)でつないだかのように延々(えんえん)と繰り返し朝日が昇るまで続ける
というものでした。
えん、という音、意味は実は重要だったので「炎柱」は(えんばしら)
鬼滅の刃|なぜ火柱ではないのか?
『炎の呼吸』を『火の呼吸』と言ってはならない
火柱ではなくなぜ炎柱なのかを改めて整理してみました。
呼吸の元祖が火の呼吸=日の呼吸だったため
「全集中の呼吸」を編み出した耳飾りの剣士が会得した呼吸は「はじまりの呼吸」ともいわれています。
主人公・炭治郎が意識を失った時に見た「祖先の記憶」の中で、耳飾りの剣士は自身の呼吸で型を見せている場面があるのですが、その様子はまさに「火」でした。
そして炭治郎の家に代々伝わる神楽舞。
「新年の最初の晩に、日没から夜明けまで一晩中踊る事で、火の神に舞を奉納する」
というもので、元々は「火の呼吸」でしたが、赫灼に変化させることで火の呼吸が昇華、鬼舞辻無惨に致命傷を与えられること=鬼の弱点・日光とも重なり、火の呼吸から日の呼吸へと別格に言われるようになりました。
実際には、呼吸の種類は重要ではなく、全集中の呼吸に加えて日輪刀を赫灼に変化させることで鬼舞辻に攻撃を与えられることのほうが大事で、さらに弱点の場所を型にした、ということの方が重要だったですが…
しかし煉獄さんのお父さんは「炎の呼吸を火の呼吸と呼んではならない」の意味を、炎の呼吸は火の呼吸ではない=諸悪の根源である鬼舞辻を倒せない、と思い込んでしまった部分もあって「しょせんはまがい物で、鍛えたところでなんにもならない」という思いをより深めてこじらせて思考停止してしまい「呼吸の種類そのものよりも、日の呼吸の型が鬼舞辻の弱点を示している」といった真相まではたどり着かなかった可能性も…と考えられます。
日の呼吸を知られ鬼舞辻に狙われないため?
呼吸の呼び方をわざわざ分けたのは、日の呼吸の真意を、炭治郎たち祖先の神楽以外の方法で次の世代に引き継げなかったために「別格扱い」となってしまったからというのが大きいですが、鬼舞辻たちに「日の呼吸の剣士」と勘違いされたりバレないようにするためだったと考えられます。
実際に鬼舞辻は耳飾りの剣士によって致命傷を与えられたため、該当するような剣士たち・子孫である可能性の人間たちを根こそぎ根絶させました。実際に耳飾りの剣士は「火の呼吸」を使っていたため同じ型を覚えて受け継いでいた剣士・鬼殺隊の隊士たちを根絶やしにしておけば同じ攻撃・ダメージは受けないという考えの元、無惨が鬼達に「日の呼吸を知る、または使い手になる可能性がある者を全て滅する」と命令、適正のある剣士や日の呼吸を知る者、書物等を徹底的に抹消していった背景があります。
「火の呼吸」の隊士だけがどんどん鬼にやられていくことを当時の鬼殺隊の御館様や鬼殺隊員・柱たちも察したと考えられます。
そこで苦肉の策として「呼吸の名前、名乗り方を変える、もとい、『火の呼吸』と名乗らない」ということが考えられます。
まとめ:炎舞が円舞へ
最終的に、炭治郎自身が自分たちが受け継いできた神楽を円つなぎのようにして技を繰り出し繰り返すことで、無惨を倒す(もとい何度も弱点を攻撃することで足止めさせて日光で焼き払う)ことができると気づきます。
炎の呼吸である柱をわざわざ「えんばしら」と物語の序盤から出していた=音読み・訓読みといった「読み方」が大きなターニングポイント・伏線であることが、こうもさり気なく仕込まれていたのかと思うとスゴイと言いざるを得ないですよね!